4歳と6歳の息子たち。
全ては自分へ何かを気づかせてくれる存在だと思っているのですが、私にとって次男は“こう生きられたらいいな♪”という理想を教えてくれる存在。
そして、お兄ちゃんは不器用さが歯がゆくて、“もっとこうしたらいいのに!”という気づきを与えてくれる存在。
次男にはサラッと憧れや尊敬の気持ちすら抱けるのに、お兄ちゃんに対しては歯がゆく感じてしまうのは、お兄ちゃんの中に私自身を見ているからだなと思っています。
結局は、自分自身に対しての歯がゆさであり、“もっとこうしたらいいのに!”を教えてもらっているのです^ ^;
この間はこんなことがありました。
息子たちと3人でのお風呂タイム。
お兄ちゃんはサメのおもちゃで遊び、弟くんはカーズのマックイーンのおもちゃで遊んでいました。
きっかけはお風呂タイムの前からあったのですが、入浴中にお兄ちゃんの弟くんに対しての怒りが爆発。
お兄ちゃんは弟くんに、
「サメは本当に生きているけど、マックイーンは作り物なんだよ!」と言い始めました。
そう言われた弟くんは、大好きなマックイーンが作り物だと言われて
「マックイーンは作り物じゃないもん!本物だもん!!」と言い張ります。
こういうとき、お兄ちゃんは何が何でも自分の意見が正しいと相手に認めさせたがります。
弟くんもマックイーンが作り物だと、きっとわかっていると思います。だけど、否定するのは、本物だって信じたいから。自分の好きなものが否定されたようで悲しいから。そんな思いが伝わってきました。
そこで私は、先に弟くんをお風呂から出して、体を拭かせている間、お兄ちゃんに話します。
「お兄ちゃんが言っていることは本当だってママもわかるよ。
だけど、自分が好きなものが本物じゃないって言われたらどう思う?嬉しい?
〇〇くん(弟くん)の世界では、本当にマックイーンは生きてるの。それでいいの。
正しいことを言うのがいつも正しいわけじゃないよ。
なんのためにわざわざ〇〇くんを傷つけるようなことを言うの?」
6歳の子に話すことじゃないな^ ^;と思いながら、声が響く浴室での2人のギャンギャンとしたやりとりに疲れてしまっていた私は、このようなことを言いました。
初めは全然納得のいかない様子のお兄ちゃんでしたが、“自分だったら…”と話した辺りから少し気持ちが落ち着いてきたようでした。
そして、私は、言いながらいくつか自分に対してのメッセージを受け取っていました。
・正しいことを言うのが正しいわけじゃない
・人それぞれ、自分が思っていることがその人の世界を創っている
・自分だったらどうかを想像する
正しいことを言うのが正しいわけじゃない
元々私も白黒はっきりつけたいタイプなので、善悪とか、正しい・正しくないとかそういった“どっちか”っていう世界で生きていました。
でも、マインドフルネスの考え方や量子力学を学んでいくと、善悪や正しい・正しくないは、見る人の立場によって変わること。“どっちにもなり得る”ということを知ったのです。
人それぞれ、自分が思っていることがその人の世界を創っている
私たちは自分を通してしか世界を見ることができません。
なんの先入観もなく、フラットな状態で世界を見られたら…と思いますが、それは難しい。そのため、自分を通して見る世界が、自分にとっての世界になっていくのです。
自分だったらどうかを想像する
人間関係において大切なことは想像力だと思っています。
それぞれが同じ地球上にいるけれど、前述したように“それぞれの世界”で生きているのです。
だからこそ、“もし私が相手だったら”という想像力を働かせることが、相手を思いやるということかなと思っています。
これらの考え方は、アフターコロナを生きる上でも大切になってくると感じている部分。私もこうして書き留めることで、意識していきたいと思います!
気づきを与えてくれた2人に感謝です!
コメント