なぜ自分の思いをシェアする必要があるのか?

先日のブログでは、自分の思いをシェアしよう!というタイトルで

私はどう感じているのか、私はどんなことを考えているのか、心の声を聴いて、それを自分自身や誰かとシェアしよう♪とお伝えしました。

今日のブログでは、それはなんのために??という部分をお伝えしたいと思います。

 

私がどうして自分の思いをシェアしようと思ったのかというと、20代半ばに9ヶ月間滞在したオーストラリア・メルボルンでの経験が大きく影響しています。

私はメルボルンにある中高一貫校で、日本語のアシスタント教師として渡豪しました。

 

オーストラリア自体が移民の国として知られていますが、メルボルンはその中でも特に移民の受け入れに対して柔軟なところ。

電車に乗れば、インド系、イタリア系、アボリジニの血を引く方、トルコ系、中国系などいろんな文化的背景を持った方が乗っています。

街中にも日本のように中華街もあるけど、イタリア人街やギリシャ人街などもあって、それぞれの美味しい料理を食べられるレストランもあります。

いろんな背景を持った人たちが気持ちよく暮らしている街。

それが私にとってのメルボルンのイメージ^ ^

 

いろんな人がいるのに、どうしてみんな気持ちよく暮らせるんだろう?と考えた時に、

*自分自身を肯定的に受け入れている

*相手のことも受け入れている

この2つの面が見えて来ました。

初めは、英語の発音に対してコンプレックスを持っていた私。

英語に苦手意識もありました。

だけど、周りの人をよくよく観察してみると、インド系の方はインド訛りの英語を、中国系の方は中国語訛りの英語を堂々と話しているんです!

また、失礼ながら、日本人の基準からしたら大きな体の女性もファッションや恋愛を楽しみ、キラキラと輝いている女性も多く見かけました!

そうした様子を見ていて、自分のことを好きなんだな、受け止めているんだなっていうのが感じられて、とても格好良く感じました♪

誰かの基準に合わせるのではなくて、自分がハッピーかどうか、そこを基準にして生きることを彼らは教えてくれました♪

 

また、メルボルンの人たちは外国人である私に対して、とても親切に接してくれました。

私の日本語英語にも嫌な顔をしないで付き合ってくれたし、日本人だからとバカにされることもありませんでした。

 

考えって言葉によって生まれます。

じゃあ言葉は?というと、文化から生まれます。つまり、移民が多いということは、文化や習慣、言葉が違うということが大前提。

そして、考え方が違うということも大前提にあるのだと思います。

考え方が違うならどうしたら分かり合えるか?

話し合い、なんじゃないかなと思いました。

私はこう思う。あなたはどう思う?

そこからスタートして、お互いが気持ちよく着地できる場所を探していく。

考えは、言葉や文化に根付いています。だから、考えに良いも悪いもないんです♪

立ち位置が違って、見る位置が違えば、違う面が見える。ただそれだけのこと。

だけど、Aの地点に立っている人に、立ったことのないBの地点からの景色を想像しろと言っても無理でしょう。

 

Bの地点にいる人に話を聞いて初めて、Aの地点にいる人は、Bの地点からの景色を想像することができるのです♪

 

だからわかり合うために、また、自分の器を広げるためにも、お互いの思いをシェアすることってとっても大事なんです!!

そして、自分の思いを伝えるためには、まず、自分が何を感じているのか、どう考えているのかに気づいて、それを言葉に置き換える必要があります。

だからこそ、自分自身に対してのシェアと自分以外の人とのシェアがとても大事♡

他の人の話を聞いて、自分の思いに気づかされることもあります♪

 

そして、まずは自分を受け入れてあげないと別の人を受け入れることはできないこともお忘れなく♡

(自分がハッピーじゃない時に誰かに優しくするのって難しいですよね?)

私の中には、コンプレックスに感じる部分も自信のある部分もあるし、好きなところも嫌いなところもある。

だけど、ぜーんぶで私。そんな風に丸ごと自分を受け止めてあげられるととっても楽になるし、他の人のコンプレックスに感じる部分や自信のある部分、好きなところや嫌いなところも受け止めてあげることができるようになりますよ♪

みんな一人一人違う、ということを受け入れてお互いに思いをシェアできる世界が実現すると良いなと思っています♪

私もまずは家族や友達、レッスンに来てくださる方など、周りにいる人からそんな世界を実現していきます♡

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